10月22日 火曜日

日記

今回は郡山と会津を結ぶ大動脈の二つ、鉄道と国道が在りますが、最初は私が良く利用する鉄道から紹介仕様と思います。 JR磐越西線ですが、何と今年の7月から一万円札の顔となった「渋沢栄一」が関係しているのです。 それもとても大きくです!。 話は明治時代、現在のJR磐越西線は当初「岩越鉄道」と呼ばれ、郡山から新潟新津を結ぶ私設鉄道として計画されました。 明治25年(1892)に福島県知事に就任した日下義雄は「地域発展のため鉄道は不可欠」と強い信念のもと、線路開通の為に、東京の渋沢のもとに度々相談に訪れました。 前年明治24年9月に東北本線は青森まで開通していました。 渋沢は日下に中央からの援助を待つだけでは無く、地元の資産家にも協力させるようにとアドバイスをし、自らも出資し株主を募り、創立の一員となり、明治36年まで取締役として経営に関与しました。 明治31年(1898)に郡山~中山宿を7月開業し、翌年明治32年の3月に上戸まで延び、この年の7月に会津若松駅まで延伸し、明治37年(1904)年1月に喜多方駅まで開業しました。 その後、明治39年(1906)に国有化され岩越線となり、大正3年(1914)11月には新津駅まで開業し、大正6年(1917)11月に郡山~平が開通し、岩越線は磐越西線と名前を改称されました。
以来、磐越西線は、信越線と上越線が全通するまで、東北本線経由で東京と新潟を結ぶルートとして重要視されました。 急勾配の碓氷峠(うすいとうげ)や、谷川連峰の清水トンネルの建設に時間がかかり、全線開通は昭和6年(1931)9月まで待たなければなりませんでした。 その後、東京~新潟は上越線が主役となり、磐越西線は東京~会津地方を結ぶ重要なルートとして、歴史を刻み続けています。
一度乗車して見て下さい!。 猪苗代駅の次「翁島駅」を過ぎると線路は蛇行しながら、磐梯町・東長原・広田駅を通って会津若松駅と行きますが、この蛇行がすごいです!。 その訳は標高差にあります。
水平距離10㎞の間に約250m以上の差があるためで、山裾を迂回しながら勾配を緩和しているためです。 よく峠等で水平距離が小さいので「スイッチバック」を利用しているのと同じ考えです。 当時の建設機材等を思うと人の知恵と力はすごいものがありますね。 紅葉の季節を向かえての、此れからの車窓からの景色は、車と違い上下左右ゆとりを持って観賞出来ると思いますのでお薦めします。 最後に一番大事な事を忘れていました。 マンションの最寄りの駅は「上戸」と書いて「じょうこ」と読みます。 無人駅で券売機は有りません。 当然急行は止まりません。 鈍行ローカルのみで、朝夕の通勤通学時間帯以外、2両編成でワンマン運転です。 郡山駅や若松駅など急行の止まる駅では全部のドアから乗り降り出来ますが、上戸を始めそれ以外は決められたドアだけが開閉します。 降りる時には一番前の運転席の後のドアだけが開きます。 丸い緑のボタンを押すとドアが開き降りる事が出来ます。 乗る時にはホーム上に印があり、一両目後のドアから、車両の外に付いている丸い緑のボタンを押して、ドアを開けて乗車専用の券を取ります。 この券を降りる駅で見せて精算して改札口を出ます。 乗る時・降りる時、開くドアが決められていますので、充分に気を付けて下さい!。 久々に乗る電車・初めて乗る電車はちょっとドキドキしながら、せれでもウキウキと楽しいですよ!
上の最初の写真は、昨日青空が広がる磐梯山の麓を走る現在の磐越西線の電車風景です。
下の写真は今月17日、蛇行の具合を収められないかと乗車して、一番前から大きくカーブする線路を撮った写真ですが・・・分かりますか・・・車内からは無理がありました! 磐梯町駅を出た所に町の案内板があり、残念ながら此の絵図を見て頂いた方が良く分かりますね!