早朝から気温が高く蒸し暑く、湖面は僅かにさざ波が見えるだけで、涼しい風はマンションの部屋まで届かない状態です。 とても9月とは思えない天気が続いています。 台風の後の天高く馬肥える秋は何処に行ってしまったのでしょうか? 9月04日の周辺観光で猪苗代湖を取り上げ、本当に簡単な湖の大きさ・深さ・高さ・出来た地層等と三市町の面積の割合等の説明で、観光に入るのか少し疑問を持っていましたが、今回の内容も・・・?
観光では無く日記にて上げますね。 今日は江戸の前より交通手段の中心的存在で、鉄道が開通するまで栄えた湖上交通を紹介します。 湖南町を紹介した際、白河街道の宿場の港として、名前に当時の面影が残っている浜辺を取り上げました。 四方を山で囲まれた会津は、街道と川とを併用することで物を運び、他の地域と連携を保ってきました。 輸送米は参勤交代で藩の殿様をはじめ多くの侍が江戸詰めをしていた時必要とされました。 此の手段が経済を発展させ、藩の体制を維持し、江戸や大阪に大量の米を運ぶ事になりました。 江戸への輸送米は猪苗代に運び、湖上を舟運で秋山(現湖南町)に運び、そこから鬼怒川の阿久津河岸まで陸送され、更に舟で江戸蔵前へと運ばれました。 また会津西街道も利用されましたが、自然災害が多く度重なり、地震や水害で中断される事が多く、距離は長くなりますが湖上で運ばれ白河街道を利用することが多かった様です。 会津藩時代は輸送米等の商品経済の発展に従って湖上舟運が盛んになり、湖岸は多くの港が作られました。 明治時代になると、厳しい禁制の一切が撤廃され、漕運会社も創設され、物資と人ともに自由に行き来が出来、湖上交通が盛んになりました。 しかしながら、明治後期に鉄道が開通し、更に自動車が走る様になると、汽船の姿が猪苗代湖上からなくなりました。 時代の流れでどうしょうもないですね! 現在は僅かな漁船が名物の「アカハラ」等を獲っている風景を見る事が出来る程度で、レジャーボートの方が断然多く見られます。 またマンションから湖の右中央部にヨットハーバーや、遊覧船「ハクチョウ丸」「カメ丸」が観光客を乗せて30分の湖上をゆったりと走っています。 4月から11月までの営業です。 機会があったら私も乗りたいのですが、9月の初めに行った際、午後の便が外国からのお客様の予約いっぱいで乗れませんでした。 紅葉の時期にもう一度行こうと思っています。 天気の良い日は船着き場からマンションが良く見えますよ!
上の写真の風景と最後の写真の風景は、今日現在の写真ですが、この夕陽と夕暮れの磐梯山だけは何百年と変わらない風景と思います。 大きな船の行き来は、もう見る事が出来ませんが、可愛らしい舟は長浜の遊覧船と志田浜の白鳥のボートで楽しんで下さい!




